【兵庫県西宮神社の関東唯一の直系分社】桐生西宮神社の勧請の理由と歴史

桐生西宮神社は桐生えびす講の会場でもあり、地元桐生の人にとってはなじみ深い場所でもあります。

桐生西宮神社は「関東一社 桐生西宮神社」と称しています。

「関東一社 桐生西宮神社」とは、桐生西宮神社は兵庫県西宮市にある蛭子(ひるこ)大神の総本山 西宮神社の関東における「唯一の直系分社」であることを示しています。

桐生西宮神社

桐生西宮神社が関東一社の理由

えびす宮総本社 西宮神社と御祭神が同じ

桐生西宮神社の御祭神はえびす大神、天照大神(アマテラスオオカミ)、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)、須佐之男大神(スサノオノオオカミ)の4柱となり、これは西宮神社本社の御祭神と同じになります。

桐生西宮神社ではえびす宮総本社 西宮神社と同じ御神徳を受けることができます。

桐生西宮神社の御利益

商売繁盛 金運上昇
招福開運 生業隆昌
家業繁栄 無病息災
家内安全 諸願成熟

御神影札(おみえふだ)の頒布

御神影札とはえびす大神、大国主大神のお姿を写したお札のことです。

桐生地域ではこの御神影札を自宅の縁起棚(神棚)に祀る文化があります。

御神影札は本社謹製のもので、桐生えびす講の時に桐生西宮神社で購入することができます。

桐生西宮神社の勧請の理由と歴史

桐生地域とえびす講

桐生は織物産業を中心に古くから経済発展をした地域であります。

江戸時代には商売繁盛を願うえびす信仰は盛り上がり、えびす講直前には「えびす講前一(まえいち)」と称される絹市が開かれていたようです。

明治34年 美和神社の境内摂社として勧請

桐生西宮神社は兵庫県西宮市にある「えびす宮総本社 西宮神社」より明治34年11月20日に美和神社の境内に勧請されました。

勧請とは

祭神の霊を他の場所でも祀れるように分けてもらうこと。

※桐生西宮神社のえびす様は蛭子大神(ヒルコオオカミ)になります。

美和神社の御祭神との関係

美和神社は延喜式内社であり、桐生に古くからある神社です。

美和神社の御祭神は大物主命(オオモノヌシノミコト)であり、別称を大国主命(オオクニノヌシノミコト)ととも呼ばれ、七福神の神様である大黒天(だいこく様)とも同一視されている神様であります。

大物主命=大国主命=大黒天(だいこく様)

だいこく様は七福神の神様の中でもえびす様とペアで見かけることが多いと思います。これは「えびす・だいこく信仰」として庶民の生活基盤である漁業と農業を司る神様が2柱ペアになって祭られてきた歴史があるからです。

えびす様とだいこく様は福徳信仰の神様であり、同格で仲のよい神様同士とされています。

桐生西宮神社が桐生の中でも美和神社の境内を勧請される場所に選んだ理由は、えびす様と関わりの深い、だいこく様が祀られていたからとされています。

大国主命と大黒天(大黒様)の習合

大黒天とは、通称名 だいこく様のことです。七福神の神様、豊作の神様としても有名です。

大黒天は日本の神様ではなく、仏教の伝来とともに日本に伝わったインドの神様です。

奈良時代の頃から、神仏習合が起こり始めます。神仏習合により、大国主命と大黒天は同一神として習合され、江戸時代の頃には大国主命と大黒天は同じ神様として信仰されるようになっていったとされています。

神仏習合とは

神と仏は同じものであるとして、神道と仏教を調和させようとする思想です。

大国主命と大黒天が習合した理由

大国主命と大黒天が大国(ダイコク)と大黒(ダイコク)と同じ読み方ができることから習合されました。

桐生えびす講はえびす様とだいこく様を並祀する特別祭祀

桐生西宮神社は美和神社の境内摂社であり、御祭神であるえびす様は美和神社の御祭神であるだいこく様と一緒に祀られている相殿神(あいどのかみ)でもあります。

桐生えびす講は七福神の中でも福徳の神とされるえびす様、だいこく様を祭る他に類のない祭祀であるといえます。

桐生西宮神社

桐生西宮神社の勧請と桐生えびす講が桐生の文化の一部と根付いたのには、桐生が織物産業を中心に古くから経済発展したことや、桐生の古社である美和神社の存在が大きいことがわかります。

桐生西宮神社
群馬県桐生市宮本町2丁目1−3
※桐生西宮神社に駐車場はありません。

参考文献
「えびすだいこく福の神」平塚貞作(著者)

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